ぴろきちコラム

「悩ましいけど、通常通りを」のつづき

昨日書いたのと内容が被る気がするけれど、書いておきながらボク自身がまだ信じきれていないので、自分のために書きます。同じように思っている人がいたら、その人にも届けばうれしいです。

 

1.それで何かが変わるのか。何も変わらない。

テレビやネットニュース、twitterからいろんな情報を得て、感じることがあります。不安な気持ち、この人はいったい何をしてんねんと思う気持ち、募金しよう、単に知りたいだけ、安心させてほしい、いろんな気持ちがあってアタフタします。だけど、よーく考えると、ボクがこれをしても状況は何も変わらないし、誰かから感謝されることなんてない。今ボクがニュースをみても、心配しても、何も変わらないし、だれも助かりはしない。だれかの事態が変わらないのなら、心配することさえも無意味。行動で示さない限りは。

 

 

2.余計なことをしない。「助かる人の数>迷惑に思う人の数」になるのか。

「あ!これいいかも!」と思いつくことはいくつもあるけど、それをアイデアレベルで行動してしまっていいのかどうか、少しだけ立ち止まって考えなくてはいけない。深い思考がないままに行動することで、余計な二度手間になってしまうことがある。平時ならいいんだろうけど、こういうときには思いつきでは行動しないほうがいい。現地でボランティアしますなんて個人ではナシだろうし、食料などを宅急便で送るのも変だと感じる。twitterでのRTやチェーンメールなんてのも同じこと。

 

3.自分の立ち位置がみえているかどうか

やろうとしたときに、自分よりも有利な状況でそれをできる人(人たち)がいるのなら、それを自分がやるのは待ったほうがいい。「専門性×継続性×量(人数)」の積が上回るのでなければ、むやみに行動せずに、立ち止まって考えてからにする。こういうことを理解せずにやってしまうのは、自分の立ち位置が見えておらず、余計なことをしているのではないか、と考えてみたい。善意が偽善になったり、善意が悪意になることもある。自分の立ち位置でやるべきことは何なのだろうか。それは他の人の立ち位置ではないか。

 

 

こういった3点で頭の中を整理した。

ススムワークの土台になっている考えに、とても思考が似ていると、まとめながら強く感じた。

 

■ボクの結論

「寄付をして、日常通り稼ぎつづけること。」

ギリギリ生きている人に必要なのは、千羽鶴ではないので、生きるために必要な何か。それは食べるモノだったり、寒さをしのぐものだったり。そのためにボクができることは寄付しかない。一番効率よく、また効果的だ。そのためには稼ぐことをつづけなくては。

 

人は加速度的に忘れていく。だけど現地では長い年月をかけて解決していくことであって、一時のことではない。つづけるためには、稼ぐこと以外の選択肢をボクは持っていないのではないかと感じる。できるのに自粛してやらないのは、これに反するし、現地に近い人ほど、できることをやっているわけだから、ボクもできることをもっと淡々とやるのが結論だと考えた。

 

被災地の人に、自衛隊に、原発の作業員に、政府に、テレビやインターネットでみた映像から何かをもらった人は多いと思う。その人たちに負けないくらい、ボクはボクにやれることを淡々とやります。

 

  • この記事を書いた人

ぴろきち

ぴろきちです。大阪生まれで大阪育ち。関西人らしくないと薄々感じてましたが、どうやら血は大阪人じゃないようです。環境で大阪人になってもよさそうなのにね。 世界遺産めぐりが好きで特に遺跡に興味があります。他には神社や寺めぐりをして、御朱印集めをはじめてまもない状態。自分のルーツ・人のルーツをたどることが好きで、家系図づくりをしていますが、4世代より前へなかなか進めずにいます。肌が弱いので、タバコの煙が苦手。お酒もほぼ飲みません。 食べ過ぎたりもしたけれど、ぴろきちは元気です。

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