考える・言葉

自分の解釈を疑え

このところ強く感じるようになってきたのは、自分の解釈を疑おう、ということ。

 

理由を明確に説明できなくて、口から出そうになるのが「自分がそう思っているから」という場合は大抵、勘違いじゃないの?と自分自身に問いかけるようになりました。

 

「自分の」「解釈」ってこれまで知り合った人からの情報や、読んだ本などからのインプットの集まりでしかないわけなので、ボクの中で、ボクの世界がそれだけの広さしかないってことだと思うんです。

昨年みつけた「すべての人から学ぶことができる」という信念に通じるものがあるのですが、同じ世の中で、同じ時間に存在している自分とそれ以外の人が、別々の解釈をしても当たり前じゃないかって思うんです。そして、それ自体はどちらも正しい。

 

自分であれ他者であれ、違うと指摘するなら、それなりの理屈がいると思うんですね。相手の世界も包んでしまえるような世界観をもちたいですね。

  • この記事を書いた人

ぴろきち

ぴろきちです。大阪生まれで大阪育ち。関西人らしくないと薄々感じてましたが、どうやら血は大阪人じゃないようです。環境で大阪人になってもよさそうなのにね。 世界遺産めぐりが好きで特に遺跡に興味があります。他には神社や寺めぐりをして、御朱印集めをはじめてまもない状態。自分のルーツ・人のルーツをたどることが好きで、家系図づくりをしていますが、4世代より前へなかなか進めずにいます。肌が弱いので、タバコの煙が苦手。お酒もほぼ飲みません。 食べ過ぎたりもしたけれど、ぴろきちは元気です。

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