活かされ、護られている
事業の可能性が“勝手に”拡がります

2010年もありがとうございました

カテゴリー: ぴろきちコラム

大晦日ですね。あと数時間で2010年が終わります。 昨日は4つ目を書こうと思っていたのですが、書けませんでした。そのレベルまで、頭の中で整理されていないんでしょうね。 今年の1月1日の日記を振り返ってみました。 今年のボクのテーマは「足るを知る」。 ここ数年は特にこの考えできたつもりで、拡大志向にとらわれず、限界利益を追求せずに、できる範囲のことをマイペースでやってました。今年は足場を固めるという意味でも、周囲に振り回されないようにという意味でも、自分自身の絶対価値と向き合う年にします。 まさにこの通りの年になりました。迷いに迷った年でしたが、足場固めをこれほどしっかりできた年は過去にありませ…

「思考の深さと、志の高さは比例する」

カテゴリー: 考える・言葉

連日書いた2つの日記から、生きることの答え・道のり・立ち位置が見えてきました。これを仕事に置き換えたらどうなるのか?と考えてみました。ボクは、仕事とプライベートの境界を曖昧にしているので、つながっています。活力は働くことで付くし、人生の半分ほどの時間を占める仕事をどう捉えるかは、とても重要でした。

 

今の仕事・これまでやってきた仕事を通じて、いったいどうなろうとしてるのか、いつのまにかわからなくなっていました。なくなったのではなく、はじめから何もなかったのかもしれません。そして、目の前のことをやっているだけの状態になり、目の前の困っている人の問題解決をしているだけの状態になっていました。これはこれで悪くはないんですが、本当にこれでいいのだろうかと考え始めました。

 

「評価は成長した量で。」

カテゴリー: 考える・言葉

“成功している人”、”華やかな人”をみると、うらやましいと感じていました。今もまだ進行中かもしれません。うらやましいと感じると同時に、落ち込んでしまう自分もいました。だけど成功するまでの道のりを知っている人に対してなら「おめでとう」と思えるんです。これは、おかしい。”成功している人”は、そこまでの道のりで努力してこなかったんでしょうか?

“成功している人”のその時点をみて、この2つのことを感じるのは、ボクがそこを目指そうとしているか、通過点と考えていて、さらにボクはその手前にいるからでしょう。やっぱり自分の足りないところばかりが目に付くので、落ち込んでしまうんだと思います。それは、フィギュアスケートをみて、ボクよりも滑るのがうまくて、ボクよりもジャンプがうまいからといって、うらやましいとか落ち込んだりするような気持ちにはならないからです。ある程度は仕方ないことだと思うのですが・・・。

「活かされ、護られている」

カテゴリー: 考える・言葉

何のために生きてるのかわからなくて。だけどいつか死ぬだろうことは知っていて。限られた時間を何のために使えばいいのだろう、とすごく悩んでいました。悩みというよりは、問題としてとらえ、その問題を解決しようと戦っていました。

 

ボクが見つけてきた、ひとつの答えについて今回は書いてみます。

生きるということ。信念ともいうのかもしれませんが、それをボクは「活かされ、護られている」と解釈しました。「生きる」というのを主観でとらえていたのですが、今年考えぬいた結果、ボクの中ではこのコトバで表現することが、一番しっくりきました。

2010年、総決算~はじまり

カテゴリー: ぴろきちコラム

2010年、総決算~はじまり

クリスマスというものが終わり、M-1グランプリが3つの意味で終わり、2010年はあと数日となりました。

 

10月1日の日記に書きましたが、2010年は内面のボクと向き合い、33年でどん底の体験をした年でした。
その話を、恥ずかしながらも、会う人会う人に話してみると、けっこう多いように感じました。多くの人にそういう年だったんでしょうか?それとも30代特有?答えはわかりませんし、人それぞれでしょうが、10月1日の「再始動」宣言は、実はまだ序の口だったんです・・・。